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2016.12.31.

筑紫野で土塁発見


福岡県筑紫野市からのニュースです。筑紫野市教育委員会は、11月28日、筑紫野市内にある前畑遺跡で 丘陵の屋根に築かれた7世紀の土塁を約700メートル確認したと発表しました。

九州に置かれた統治組織「大宰府」の中心部から南南東7キロの位置にあり、筑紫野市教育委員会は 「大宰府一帯の南側を守る防衛施設ではないか」と判断しています。
情報元ソース:毎日新聞 福岡・筑紫野 大宰府南方に長大な土塁を発見 防衛施設か
http://mainichi.jp/articles/20161129/k00/00m/040/057000c
大宰府の防衛については、周囲を土塁や山城で囲んでいたとする学説があり、今回の土塁の発見は そうした研究を裏付けるものとなりそうです。

奈良時代に記された歴史書「日本書紀」によると、663年に白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に破れた 倭(=日本)は、大宰府の防衛施設として、北に山城・大野城、土塁の水城、南に山城・基肄城を設置。

大宰府一帯を、この3つの城と合わせて土塁などで囲む防衛ラインがあったとされる学説が これまで唱えられてきましたが、はっきりとした発掘例はなかったそうです。

筑紫野市教育委員会の関係者は「自然の地形や山城、水城と連動させて大宰府一帯を囲んだ防衛ライン、境界線の可能性がある。学説の検証が必要。」と話しています。

12月3・4日には筑紫野市内で現地説明会も行われたとのことで、今後の研究の成果に期待が 寄せられています。

そもそも大宰府といえば、10世紀に菅原道真公が流された地であり、太宰府天満宮は学問の神様としても 有名ですが、もともとは九州方面の国防のために設置された機関でした。国防機関として機能していた からこそ、国土が守られ、後に菅原道真公が左遷されることになったと考えると、土塁などの 防衛ラインが設置されたことと頷ける説だと思いました。

歴史の奥深さ、因縁を感じるニュースでした。


 執筆:街コミNAVI編集部