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2015.02.21.

小山が、徳川家康400回忌に合わせ『小山評定』でPR活動。


みなさんに中には、日本の歴史に興味があり 大変、詳しい方もいるのではないかと思います。

その日本の歴史の中で、重要な出来事であった 「小山評定」について、みなさんご存知でしょうか?

今年は徳川家康400回忌。

これを記念して 徳川家康が江戸幕府成立への道筋を付けた天下分け目の軍議 「小山評定」の舞台となった小山がPRイベントを行なうそうです。
情報元ソース:産経新聞 「家康400回忌」に小山市も“参戦” 通年企画で「歴史」アピール
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150217-00000027-san-l09
小山では「徳川家康公400年記念事業(400年まつり)」として 年間を通じて同市の歴史をアピールする活動をするとの事です。

日本の歴史にそこまで詳しくない方にとっては 「小山評定」はあまり聞き慣れない歴史上の出来事なのではないかと思います。

この「小山評定」について簡単にご説明しますと・・・

慶長五年の関ヶ原合戦の直前に小山にて開かれた歴史的軍議で この軍議で徳川家康の留守中、西で挙兵をした石田三成に対して 本来は家康を豊臣家の名代として、上杉景勝を討伐する予定だった諸大名連合軍が この小山での軍議で軍を西に返し、石田三成らの軍と対決する事を決定した軍議なのです。

しかしこの瞬間から「豊臣家の命令による連合軍」が「徳川家康を頭目にした私軍」となり 家康に「こちらに味方するも石田に味方するのも自由だ」と言われた諸大名が 改めて家康に忠誠を誓う形になったそうで、その先の運命が決定する重要な出来事だったんですね。

というのも、普通であれば豊臣方をつけている石田軍が 簡単に言うと『謀反の疑いのある徳川家を倒す』という大義で戦ったのが関ヶ原合戦ですから 普通に考えれば、諸大名は石田軍につく流れとも言えますからね。

今回のこの事業では、この歴史的に非常に重要な「小山評定」にゆかりのある 小山の歴史を広く知ってほしいという狙いがあるそうです。

歴史に興味の有る無しにかかわらず この日本歴史の分岐点とも言える戦の決め手となった土地を 一度、訪れてみるのもいいのではないでしょうか?


 執筆:街コミNAVI編集部