



2017.06.12.
奥州の覇者 伊達政宗
5月24日といえば…奥州の覇者であり独眼竜で有名な「伊達政宗」の命日と言われています。(もっともその頃は旧暦のため、寛永13年5月24日=1636年6月27日とされているようですが)
今回は、そんな伊達政宗についてご紹介したいと思います。
情報元ソース:PHP Online 衆知(歴史街道)
独眼竜・伊達政宗が没~今日は何の日
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170524-00010000-php_r-bus_all
永禄10年(1567年)伊達輝宗の嫡男として生まれた政宗は、幼い頃に患った疱瘡により右目を失いますが、18歳で家督を相続するや武将としての頭角を現わし、19歳の頃、天正13年(1585年)には、人取橋の戦いで武名を奥州にとどろかせます。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170524-00010000-php_r-bus_all
その後の戦績も目覚ましく、まさに奥州の覇者と呼ぶにふさわしい立場となります。
羽柴秀吉が天下を手中に収めたのち、秀吉の軍門に下りますが、天正19年(1591年)秀吉が奥州の葛西・大崎一揆を鎮定した際も、裏で一揆を扇動していたのは政宗だったとも言われています。
慶長18年(1613年)には、過信の支倉常長を宣教師とともにヨーロッパに派遣、航路開発や通商を求めますが、当時のヨーロッパの記録には「奥州王の伊達政宗はキリシタンを結集し、皇帝(家康)を倒して、自ら皇帝になる用意があると、強く日西条約の締結を迫った」と記されていて、奥州でも権力を持っているのが政宗であると広く伝わっていたことが伺えます。
しかし元和6年(1620年)支倉の帰国に際し、スペイン艦隊が同行しなかったことで、奥州を起点とした政宗の天下への野望は幻へと消えます。
その後、徳川家には二代三代と仕え、寛永13年1636年、癌性腹膜炎で没します。奥州の覇者と言われた政宗、その功績は現在も語り継がれています。
個人的には伊達政宗といえば、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗(1987年)」の印象が強いですが…ちなみに大河ドラマは平均視聴率39.7%、最高視聴率は47.8%を記録。これは今尚歴代大河ドラマのトップを記録しているそうです。
執筆:街コミNAVI編集部